タカナシズムな呟き

つぶやきの寄せ集め

感想:「君たちはどう生きるか」【ネタバレ有】

 内容のほとんどを事前に知らされないまま視聴した数少ない映画の一つ「君たちはどう生きるか」。

 朝一番の上映で鑑賞してきた。周りのレビューを一切見ずに、私が思ったことを素直に書く。

 


 宮崎駿が作る映画の中で特に難解で複雑な映画だったと思う。タイトルからして子供向けの映画でないことは分かっていたけれど、大人が観ても大きなハテナが浮かぶこと間違いない。

 


 私にとってこの内容の複雑さというのは同時に面白くないとも置き換えられるものであり、正直なところ残念な気持ちが強い。7年という歳月をかけて宮崎駿が放つ弾だったとしたら「この程度のものなのか?」というのが厳しいながらの所感となる。少なくとも前作の風立ちぬは間違いなく超えていない。

 124分という限られた時間で描き切るには些か難しいテーマだったのかもしれない、登場人物たちの飲み込みの速さに観ている私たちがついていけず、後半はやや急ぎ足になっていた。

 


 ストーリーについて。

 


 私が持っていた前情報は本作が冒険活劇ファンタジーであることと主題歌が米津玄師であることである。

 あいにく登場人物のキャラクターの名前は主人公の「真人」と付き人のおばあちゃん「キリコ」、再婚相手の「夏子」しか思い出せない。

 


 主人公「真人」が空襲警報と共に起こされ、母親のいる病院が火事であると知るや駆け出すシーンから始まる。火の揺らめく描写が生き物のように動いてそれに飛び込む真人の疾走感、迫力が伝わってくる。主人公たちにとっては辛いこの場面がこの映画の中で一番良いシーンだったのではないかと思う。

 戦争が落ち着き、主人公の父は再婚して新しい生活を始めようとする。新しい母の夏子に真人は馴染めずずっと他人行儀。すでに夏子のお腹の中には赤ちゃんがいる。

 常に真人は心を閉ざしっぱなし。新しく入った学校では裕福な姿が気に食わないクラスメイトと喧嘩し居心地が悪い。わざと頭に傷をつけて学校を休もうとする。

 


 ここまで観て違和感があった。どうも中々冒険活劇ファンタジーが始まらない。この導入の長さは果たしてこの映画に必要だったのかは今思えば疑問である。

 


 真人の父親は息子想いのいい父親なのだろうが、裕福な暮らしに自信を持ちすぎて他人を下に見る傾向にある。そして真人とは裏腹に過去を振り返らない前向きな人物に描かれている。この性格の違いから、この父親と不仲になるのではと思っていたがどうもそんなことにもならず、よくわからない人だ。

 


 付き人のおばあちゃんたち。ずんぐりとした頭はとなりのトトロのカンタのおばあちゃんや千と千尋の神隠しの湯婆婆を彷彿とさせる、安心感のあるキャラクターだ。

真人が行方不明になった時は懸命に捜索し、頭に傷をつけて帰ってきた時も献身的に看病に努めてくれていた。

 


 父親の再婚相手、夏子に関してはこうして書いてる今でも謎が多く残っている。ある時は真人を想い、ある時は真人を拒む。子を孕んでいるため情緒が不安定なのか劇中では様々な表情を見せるキャラクターだ。

 


 そして物語を大きく動かす「アオサギ」。名前はこれも分からない。オヤジのような野太い声で真人の心を揺さぶるキーキャラクターである。

 


 アオサギが目障りな真人は自前で弓を作り、仕留めようとする。弓を作って練習していた所を付き人キリコに見られ「タバコと引き換えにそれより上質な弓をやろう」と持ちかけられる(タバコはもう持ってないと断る)。

 


 物語が大きく動くのはその後。母が生前に大きくなった真人へと贈った「君たちはどう生きるか」を読み耽っていた真人は付き人たちの知らせで夏子の失踪を知る。つわりのため自室で休んでいたはずの夏子だったが、本を読む前に外に出ている所を真人に目撃されていた。

 夏子が歩いて行った方向へ歩みを進める真人と「こんなところに夏子が行くはずがない」と言うキリコの前にはあのアオサギが立ち塞がる。夏子の居場所を知っているというそのアオサギを追いかける二人は「異世界」へと飛ばされてしまう。

 


 この時真人は用意していた弓でアオサギを狙った。たった一本の弓矢は当然当たらず、万事休すかと思ったその時、その矢は進路を変えアオサギにあたるまで永遠に追尾し続ける。とうとうくちばしに命中し刺さった場所にぽっかり穴が空いた。すると忽ちアオサギは姿を変え、小さなおじさんへと変身する。ここから雰囲気は一変して今までの物語が宙に浮き始める。

 


 突然コミカルな映画へと変身したことで驚く私たちをよそに物語はどんどん複雑化していく。異世界へと飛ばされた真人はだだっ広い野原へと投げ出される。その場所はハウルの動く城ハウルカルシファーと取引をした湖の見えるあの場所を彷彿させる。

 


 ようやくファンタジー世界へと足を踏み入れたんだなと思った。ここまでくるのに体感かなり掛かったと思う(全体の三分の一くらい)。

 しかし私が思っていた冒険活劇ファンタジーとはかなりかけ離れたものだった。

 


 開けたら死ぬと書かれた看板の門をうっかり開けてしまったり、ペリカンの大群に襲われそうになっていたところを突然現れた謎の女に助けられたり、ヨットを漕いでとある場所を目指す二人の横からはこれまた千と千尋の神隠しに登場した神様のような半透明な人相が姿を出す。謎の魚を捌き、彼らに与え、自身らもスープのようなものを食い床に伏す。白くて丸い生物はこだまを連想し、真人の面倒を見てくれる女は千と千尋の神隠しに登場するリンを連想させる。

 

 この一連の流れを真人はすんなりと受け入れる。

 私にとってはファンタジー世界の仕組みはおろか、この物語の全てから置いてけぼりをくらうことになる。

 


 真人の「飲み込みの速さ」について行けない私は後に展開される出来事をポカンとしながら眺めていた。

 

 このファンタジー世界のシステムを親切に教えてくれる女(それでも理解できない)、炎の魔法を使う謎の少女らに導かれ、真人は母やキリコ、夏子を見つけだし元の世界へと帰るところで物語は終わり。

 

 エンドロールはブルー背景にただ製作陣の名前が流れていくだけ、非常にシンプル。

 多くの謎を残したままアオサギはするりと飛んでいったのだった。

 

 

 

 総括。

 


 「君たちはどう生きるか」という小説は真人をどう動かせたのか。おそらくこの小説を読むのと読まないので理解が大きく変わってくるのだろう、予習無しで観たせいでそれを読んで真人がなぜ泣いていたのかが分からない。

 中盤以降が愉快なファンタジーだったため、それまでの戦争描写、クラスメイトと揉めるシーンなどの辛い場面がまるで嘘だったのかと思わせるほど落差が激しい。そのジェットコースターのような情緒の動かされ方に終始戸惑いっぱなしだった。新海誠のすずめの戸締まりはこの点で大きく勝っているように思える。

 かなり端折られたファンタジー世界の仕組み。それに素早く順応する真人と置いてけぼりにされる私。

 キャラクターの使い方も雑だ。真人の父親、ファンタジー世界の王様、真人の祖先おじいさん、アオサギ、夏子、炎の魔法を使う少女。多くは語らず自身の想像で補うしかない彼らのキャラクター性をストーリーから理解するのはあまりにも難しすぎる。

 またキャラクターや場面が今までのジブリ作品のオマージュのようになっていて総集編を観ているような描写があった。特にとなりのトトロ千と千尋の神隠しハウルの動く城から引っ張っているのは私にでも分かった。分かったからなんだという話だが。

 

 繰り返しになるが、この映画は本当に宮崎駿がどうしても描きたかったものなのだろうか?私にはこれがこれまでのジブリ作品のあれこれを寄せ集め、それを大雑把に切って入れただけの不思議な料理にしか思えない。今までも多くは語らない、あとはお客さんの想像に任せますというスタンスの話が多かったが、今回の「君たちはどう生きるか」は想像させるだけの材料があまりにも少なすぎたのだ。

 結論、私はこの映画に満足できていない。これが宮崎駿監督最後の作品だとは認められない。