タカナシズムな呟き

つぶやきの寄せ集め

呟きの風船みたいなもの

・掃除をサボる言い訳

 

 生産性のない日々、徒然なるはぬるま湯地獄。

 手持ちのチップは私の拠り所。惹き寄せられるは魅惑の味。リズミカルな音色と共に、するりと喉を通るは悪魔の味。

 弾けて起こる脳内麻痺。漂う快感、爽快感。ジョークとメタボは豊かな証拠。

 いつでも頭の中は欲求ごとで満たされている。満たされている間は変にポエムを読んでしまう。

 良いのか悪いのかは分からない。欲求がなくなってしまったらそれはそれで人生終わるような気がする。

 けれど欲求の溜めすぎはかえって面倒で。欲求で埋め尽くされた先はぬるま湯地獄が待っている。ぬるま湯に慣れるともう上がることはできない。ぬるま湯に浸かりっぱなしで上手くいくわけがない。分かっていてもこれを続けてしまう、人間だもの。

 

......言い訳が長すぎる。

 

 この惨状を目の当たりにしてやる気が出るやつなんているだろうか。いやいない(反語)。

 その場から逃れるようにソーシャルゲームを立ち上げた。こればかりは日常生活に組み込まれている、日課。恐ろしい。


 努力は意識してやっていると絶対に続かない。

 小学校やら中学校やらを経験してきた人なら分かる。毎日朝早くに学校に登校することを誇りに思っていたことなどなく、ただ流れに身を任せていただけだった。

 当たり前だと思わなければ努力は続かない。むしろそれを努力だと思わないほうがいい。これが無意識でできているのが今も頑張って学校で勉強したり会社に行っている君達。それの逆もまた然り。意識せずに習慣づけることは勤勉も怠けも同じことなのだ。

 そして私は運命の悪戯だろうか、後者を選んでしまっているのかもしれない。

 

 という、散らかった部屋の片付けをめんどくさがる惰民の戯言。これ私だけじゃないでしょ...みんなこうなるって。

 

 

 

・電子化した話

 

 電子板で漫画を読むという習慣が板についてしまい、紙とは疎遠になってしまった。もうすっかり電子化の波にのまれまくっている。

 無料の漫画を読み漁る。最近は無料で読める漫画が増えた。無料で読めても作品が本当に面白かったら、消費者はちゃんとお金を払うのだから。単行本も買ってくれるから。3年で2300万部も売り上げたス○イファミリーは偉大なのだ。

 そう考えると某無料漫画サイトを批判していた人は少しずれていたのかもしれない。無料で漫画が読めたら単行本が売れないと主張する人は今でも同じことが言えるのだろうか。是非ご意見お聞きしたいところだ。

 コロナは悪いやつだけれど、電子情報化社会を促進させるきっかけになったとも言える。必要に迫られたら重い腰をあげるのが人なのだ。お陰でずっと物質的な貸し借りにしか対応できなかった市立図書館にもついに電子書籍が搭載され始めた。私もつい先日利用してみた。でもなぜ電子書籍なのに誰かが借りていたら待たねばならないのか、これが分からない。物質的な本は仕方ないにしてもデータは複数人でもシェアできるものではないのか。

 

 いつも「髪」を切ってもらってるスタイリストさんは今でも「紙」で読むスタイルを貫いているという。

「やっぱこのめくってる感が良いっていうか。紙の質量というか、ずっしりしてて、読んでるっていう実感があるじゃんね」

 電子板を持ってる絵もそれはそれで良いとは思うけれど、好みはそれぞれあるんだなと思った。

 

 コロナ前の自分は全部が全部電子化していったら気持ち悪いなっていう不安がどうしても付き纏ってしまっていた。でもみんながこっちのほうがいいじゃんって流れていったら結局は自分もそっちにいっちゃうんだなと。

 今ではこの生活にどっぷり浸かってしまってる自分に気持ち悪く感じてる。

 

 

 

・暇つぶしの瞬間風速は光並説

 

 陰謀論はさまざまな考察が飛び交う中で共感性を見つけ、マッチングするためのコミュニケーションツール。これが大きく膨らんで大衆化する現象をよく見るけれど、それが本当に正しいものなのかどうかなどは誰も気にしないよね。面白ければ何でもいい、暇つぶし程度にしか取り入れない。

 暇つぶしは常に需要があるから、それ相応の供給者が必要。つまりはマスコミ、もしくはインフルエンサー(目立ちたがり屋)が現れて。彼らは周囲を楽しませるエンターテイナーとして、惹きつけ役となる。テレビで有名人がただお喋りするだけの状況を眺めるよりはよっぽど楽しい空間が出来上がってる感じ。

 間に受ける人間、悪く言えば騙されやすい人間、って結構いるんよね。「〇〇だと思う」だとこの意見には信憑性が無さそうだと感じるが、「〇〇だ」と断定した言葉を放つと「そうなのかもしれない」と錯覚しちゃう、言葉の問題。

 強い語気にはそれ相応の反発ももちろんある。その反発は余計議論(笑)を活性化させて最終的にその人に対する宣伝になってることに気づかない。思う壺。そうやってコンテンツがどんどん広がっていって手に負えなくなって...。

 こういうことを繰り返し起こるせいで最近のSNS上では炎上騒動がたびたび起こっていってる。今日もよく燃えてますねと言わんばかりに燃え上がって、次の新しいネタが現れると徐々にその炎は消えていく感じ(完全には消えない)。

 

 閉じられた世界で盛り上がるより開けた世界で盛り上がるほうが息が続くっていうのを聞いたりする。それは別に陰謀論とか信憑性の薄い書き込みに限った話じゃなく、コンテンツの継続にも同じことが言えそう。スターバックスマクドナルドなどが毎回限定メニューを出すのは単純に「飽きられ」ないようにするためだと思うし。

 常に新しい要素を取り入れるのはどこでもやってることなんだろうけど、問題はそれがみんなから認知されるかどうか。宣伝に力を入れすぎるくらいで実はちょうど良い感じになるのでは。

 

 ファンクラブなんて新規増えないし...メンバーシップなんて何も変わらないし...思うことはあったけど、やっぱり色々変わってきてるのかな。この変化にみんな気づいてる?

 

 

(備考)

 明日から公開されるマリオの映画、海外では一足先に公開されてて大好評らしい。これもやっぱり宣伝力がすごかったからなのかな?認知度はもともと抜群だったもんね。まだ映画自体は観れてないからなんとも言えないけど、とりあえず近いうちに観に行った感想とか書く予定。期待しないで待ってて。