タカナシズムな呟き

つぶやきの寄せ集め

年の瀬に語る

 もう大晦日ってまじですか。

 

 色んなことが起こった2023年だった。私の中でのビッグイベントは栄転にともなった引っ越しと結婚したこと、断捨離したこと(こっちは多分また買い直してると思う)。引っ越しと結婚は色んなところで喋っていると思うので、今回は断捨離の話を取り上げよう。私の中では前2つに並ぶくらいのビッグイベントなのだ。

 

 実家に近いほうが何かと便利なのと栄転に伴う関西での仕事が増えてきたのもあって、静岡から奈良に引っ越ししたのだが、これを機に所持品のいくつかを手放そうと計画していた。といっても生活用品は常に最低限のものしか持ち合わせていないのだが、とにかくたかなしさんは趣味が多いのである。一つ一つの出費は抑えてるつもりでも色んなものを啄むせいかチリツモのようにお金が出ていく。これは良くないと家族も苦言を呈していた。年明けには母が我が家にやってくるというのでそれまでにある程度ものを減らしておかねばと、下半期は私にとっての断捨離月間が続いていた。


 

 しかし蓋を開けてみれば意外にも目に見えるものは少ない。小物たちが乱雑に置かれており、それらを一つ一つ処分したところで他人からは「何か減りましたか?」といった具合の微小な変化しか見込めない。旦那さんに自分では片付いたと思った部屋を見せても案の定いまいちな反応。ちなみに彼の部屋は常に整理整頓がなされている。非の打ち所がないというのはそれはそれで可愛げがないというものだ。

 

 片付けすること数週間、明らか多く残っていたのはいくつかのアクリルスタンドである。なんと。あんなに散々馬鹿にしていたアクリルスタンドである(大事なことなので2回言った)。こいつの便利なところは収納しやすいというところだ。スペースを空ける必要がない、なんせただのプラスチックの板なのだから、平べったにして収納できるのはとても気に入っている。しかしたかがプラスチック板風情がいい値段をしているのは今でも気に入らない。ちょっと人気だからって値段を釣り上げる販売店の策略に今ではこうもホイホイ釣られている。悔しい。

 

 そして大晦日である現在、自室でこの文章を打っているわけだが。片付いたかどうかは微妙ながら見かけは十分すっきりしたといえよう。体積が大きい目立ったもの、ゲーム、本、フィギュアなど、目につきやすく嵩張るものを粗方処分したのが効いている。そして難を逃れた大量のアクスタは平たくされ、引き出しに保存されているのである(武士の情け)。

 

 すっきりしたのはすっきりしたがどこかしらに寂寥感があるのは事実だ。気づけば私も24歳、先日30日は私の誕生日だったが、中身は何も変わっていないし成長もしていない。中学2、3年あたりで私の精神年齢は止まっており、大人のふりを続けている状態(どこかの漫画キャラクターもこんなこと言ってたな)。ゲームだのキャラクターグッズだのにうつつを抜かしている歳ではないのは分かっている。しかし人はそう簡単に変わることはできないのだと、片付いた部屋を眺めて思った。

 

 足りないパーツはまた生活が落ち着いたら集め直そうと思っているが、果たして来年の私はどう思っているだろうか。もし心境が変わって趣味も変わったらそれはそれで良いと思うし、それ以上に大切なものができたということなのだろう。来年以降の私の心の変化には注目していきたいところだ。

 

 このあとはリビングで紅白を見る。元旦はゆっくりして2日以降で初詣に馳せ参じる予定。年末年始を楽しむことにシフトして寂しい気持ちともおさらばせねば。みなさんはどんな年末年始を過ごされるだろうか。

 

 それではこのへんで、2023年はありがとうございました。2024年もどうぞよろしく。

 

 

 

 ps. 正月絶対めちゃくちゃ買い物するやん...